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知っとったぁ?こんな対馬の歴史(はなし)!を刊行するにあたって


スーパーのチラシを自分で目を通しながらいつも感じていたことがひとつあります。

それは「なんて無機質で味気ないのだろう。」ということでした。

チラシって言うものは、社員の皆さんと一緒に一生懸命考えてそれなりの経費をかけて作っているのですが、“ざっとみてポイ”と捨てられる物悲しさ。そんな虚脱感のなかで父からそっくり譲り受けた社長室でしたが、その本棚の中には対馬の歴史に関する本と古書が沢山並んでいました。社長業を引き継ぎ多くの会合セミナーに参加するようになり、その中でモラロジーの組織の一部である“日本の歴史に学ぶ会”(JHC)に初参加した時の強烈な刺激は私の心を大きく揺さぶるものでした。

平成13年(三井食品でのOL時代)、多少のお金も貯まったので仕送りは全くなしで、何のとりえもない無能である自分自身の試練時と決断し、カナダに遊学して多少の「英語遊び半分」で、一寸だけ学んでいたその頃の出来事です。英会話学校の学生達との話題や議論のなかで、中国・韓国・ドイツなどの人たちは自分の国を誇りに思い、国旗や国家論、そして自国の歴史や郷土の歴史を誇り高く語っていました。私は、その彼ら彼女らの輪に入っていけなくて、自分の国であるニッポンや郷土対馬の歴史すら語ることが出来ない自分が、いつの間にかそんな仲間達と隔たりをとりながらそれを逃げ腰で聴いているだけで、そこに佇んでいるのです。自らの無知無学無教養な浅学さが、情けなくて情けなくて堪えられない感情が襲ってきたのです。それもこれも、小中高短大、とナントなく面白おかしく生活して来たつけが一挙にまわって来たのです。自業自得ですよね。

そんなことが数回繰り返されるうちに、私はそのグループにいつの間にか近づくことが出来なくなってしまっていました。そんな中でカナダを離れ帰国する前に、何を思ったのか(笑)1ヵ月だけバックパックでヨーロッパへの一人旅に出ようと決意しました。父がいつも言う「一歩を踏み出す勇気がなければ、人は何ごとも事を為さない」の言葉を思い出したからです。でも、この一人旅にはさすがに両親やおば(武末千恵子)は強烈に反対しました。今、考えてみれば甘く育った私にしてみれば、その旅は恐怖と寂しさの連続でしたが、ここ一番の辛抱の仕方の傾向と対策がなんとなくですが身についたような気が致します。それは、人間とは恐怖感が襲って来て初めて自分の身に付かないという事が解ったことでした。人間って、何て勝手なのでしょうって、本当にこの一ヵ月の一人旅で思い知らされました。帰国後は1年余り、福岡のスーパーマーケット、(株)ダイキョープラザ(代表取締役社長・杉 慎一郎氏)で接客・接遇・販売・企画に至るまでを多少身につけ(?)、故郷の対馬へ帰ってきた次第です。

カナダでの歴史観や国家観の無さ、郷土愛の薄さ、その恥ずかしさのあまり外国人学生の仲間に入れなかった情けない自分であったことが、「日本の歴史に学ぶ会」の常任講師の“占部賢志先生”との出会いに魅了され、門下生の末席となり、父の蔵書庫にあった対馬の歴史を、むさぼり読み始めたのでした。そんな中でポイ捨てチラシの無機質さを知り、占部先生の勧めもあり、私のこれが歴史と言えるかどうかはともかくとして、まがりなりにも“知っとったぁ?こんな対馬の歴史(はなし)!”のチラシ掲載となっていった次第です。

VOL.10位まではなんとかクリアしていたのですが、私のような浅はかな勉強では荷が重くなり、「いつもで続けるか、いつ止めようか」の自問自答を繰り返しながら必死で50回まで持ちこたえました。それは今だから言えますが、スーパーの現場の仕事より、今迄があまりにも無知だったが為にはるかにきつかったです。朝の4時5時までかかり、睡眠2,3時間で朝礼に走った、なんてこと何十回もあります。でもこれは、沢山の励ましのお便りやお電話、メール、店内で「面白かったよ。今度は何を、書くとね?楽しみに読んでるよ。」はプレッシャーを感じる時もございましたが、今思い返すとそんなお声をかけて頂いた地域の皆様のお陰です。

またこの間、多くの対馬の歴史の先生方や歴史に興味をお持ちの方々から資料の提供を受け、教えを乞いながら50回を了えることが出来ました。

本当にありがとうございました。

50回を了えてみますと、チラシの歴史を1冊にまとめてみたら?と多くの方々からのお勧めもございましたので、図々しくもこの度の出版となった次第です。私の人生では考えもみないことでしたので、当の私が一番面食らっています。文章を綴る事も初めてのことでしたので、起承転結なども何か曖昧とは思いますし、初版ですので誤字脱字や失敬な部分もある事とは思いますが、そこはポイ捨てチラシの中の軽さのつもりでお許し願えれば、随分と気持ちが楽になります。

尚、この冊子をダイジェスト版封に仕上げるに至りまして、嬉しくもご推薦の言葉までも戴けた河合徹・対馬市教育委員会教育長様をはじめ対馬歴史学者の大御所であられます永留久恵先生、前県立対馬歴史民族資料館官庁・大森公善先生、現厳原幼稚園長・小松勝助先生、上県町佐護在住の史家大石武先生(農家のお父様とは見えない品の良さをお持ちです)、父とは、日露・対馬沖海戦100周年記念事業を成功させる為に共に闘って戴けた小松津代志先生、対馬・竹敷在住の歴史の語り部・高雄武保の諸先生方に至りましては、労りの心で接して戴けた上に著書の中から引用させていただいたり、最後は監修までと。永留久恵先生からは「歴史って科学だよ」の助言なども戴けたり、多面に亘りご協力いただけたことは、歴史には今でも浅くて疎い素人女の私にとりまして、今後の人生の貴重な糧となりました。真にありがとうございました。

今後も何かとご教示戴ければ嬉しく思います。

又、みつしま印刷の社長松村信彦様には、面倒な事の繰り返しで弊社へは遠い道のりを何度となく足をお運びいただき、ご迷惑をおかけいたしました。

そして、チラシにこの歴史を掲載しはじめて、いの一番にお手紙を頂き、その後も何かと激励してくださり、私のモチベーションを高めてもらえた!峰町櫛の糸瀬源ニおじいちゃん。このチラシに「知っとったぁ」を通じて貴方からお友達になってもらえたことは、私にとって本当にありがたく、一番楽しく、そして一番嬉しい出来事でした。奥様とお二人、いつまでもお元気でいて下さいね。温かい労いと励ましの心配り、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い申し上げます。

最後に、これを出版するにあたり名前を書き上げきれない程の力添えを得た方々に対して厚く感謝の意を表します。

もう一度、ありがとうございまいました。

2009年2月11日 気高く誇りある対馬の子供達へ
武末聖子 拝

P.Sこの本のタイトル知っとったぁ?こんな対馬の歴史!が、歴史をご存知の方々には失敬かと思っていましたが、私があまりにも知らなさすぎた原因が。裏を返せば「私は何にも、知らんかった」という結果の裏題(タイトル)表現だと理解下さいませ。謝